大坂七墓の場所はどこ?今現在はどうなっている?梅田墓で大規模人骨

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大阪の梅田にある梅田墓の発掘調査で、1500体以上の埋葬人骨が出土しました。

江戸から明治期の大阪には大阪七墓と呼ばれる大規模なお墓が7カ所あったそうで、大阪七墓巡りといわれるお墓巡りもあったんだとか。

今回は、大阪七墓について話題になっていたので、

・大阪七墓の場所

・大阪七墓の現在

・大阪七墓巡りとは

ということについて調査してみますね。

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目次

大坂七墓の場所はどこ?今現在はどうなっている?大阪七墓・大阪七墓巡りとは

大阪七墓で見つかった人骨は庶民のものが多く当時の生活を垣間見ることができるかもしれないと期待されているようですね。まず大阪七墓についてまとめますね。

大阪七墓とは

大阪七墓は、江戸から明治初期に大阪の周辺にあった7カ所の墓地のことを言います。

時代によって場所が違うこともありますが代表的な大阪七墓は、

・梅田墓地 ・南浜墓地 ・葭原墓地 ・蒲生墓地 ・小橋墓地 ・千日墓地 ・飛田墓地

の七つの墓地になります。

大阪の町を囲うように大阪七墓地があったんです。

引用元:http://tecnopla1011.blog.jp/archives/80354917.html

明治になって市街地拡張のためという国の施策では蒲生墓地と南浜墓地の2ヵ所を残し、他の場所に改葬されました。

大阪七墓巡りとは

盂蘭盆会(うらぼんえ)と言われる、7月13日~16日までの5日間で大阪七墓をめぐる「大阪七墓巡り」が流行していました。

この期間に、大阪七墓を巡拝して無縁仏を供養することで功徳を得るという理由があるそうです。

一種の肝試しとして楽しんでいた人も多くいたようですね。

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大坂七墓の場所はどこ?今現在はどうなっている?

今回大量の埋葬人骨が発見されたのは梅田墓地の跡地でしたが、当時に大阪七墓があった場所はどこで、現在はどうなっているのでしょうか。それぞれのお墓をまとめてみます。

梅田墓地(うめだぼち)

梅田墓地は現在のグランフロント大阪辺りにありました。

かなりの市街地でここにお墓があったとは思ってもみませんでしたね。

以前は旧梅田貨物ターミナルがあった場所で、その時にも人骨が見つかっていました。

南浜墓地(みなみはまぼち)

南浜墓地は現在も一部残っていて今の大阪市設南浜霊園になります。

日本最古のお墓と言われていて、当時は約6500㎡と大規模な墓地となっていました。


ちなみに戦国時代に石田三成に仕えていた島左近の娘のお墓もあります。

葭原墓地(よしはらぼち)

葭原墓地は現在の天神橋筋六丁目交差点あたりにありました。阪急オアシス天六店のある「ジオタワー天六」や「住まい情報センター」の近くが墓地の跡地です。

蒲生墓地(がもうぼち)

蒲生墓地は今も残っています。京橋駅の東、京阪と片町線に挟まれ東野田町3という場所にあります。

大阪七墓のうち一番昔の姿を残しているので、昔の感じがイメージしやすいと思います。

小橋墓地(おばせぼち)

小橋墓地は現在の近鉄上本町駅の北側にある東高津公園の近辺にありました。

この墓地跡は現在公園になっているので訪れたことがあるかもしれませんね。

千日墓地(せんにちぼち)

千日墓地は現在の大阪市中央区の千日前地区にありました。

現在のアムザ1000やビックカメラなんば店から千日前通までにかけての位置となります。

飛田墓地(とびたぼち)

飛田墓地は浪速区太子1丁目あたりにありました。

飛田墓地には大塩平八郎が処刑された刑場もありましたが、現在では残っていません。

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大坂七墓の場所はどこ?今現在はどうなっている?梅田墓で大規模人骨:まとめ

以上、「大坂七墓の場所はどこ?今現在はどうなっている?梅田墓で大規模人骨」について調査してみました。

昔のお墓なので資料が少なかったですが、大阪七墓巡りプロジェクトというものもあるようです。

調査は今後も進んでいくようですが、新たな発見が見つかると良いですね。

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