9月の総裁選に立候補するか注目が集まっている河野太郎大臣。
そんな河野太郎大臣の父親は第16代自由民主党総裁でもあった河野洋平さんです。
河野洋平さんは現在も問題となっている河野談話の発端となった方でもあります。
時期、総理大臣になるかもしれない河野太郎さんを育て上げた河野洋平さんについてご紹介します。
河野洋平のプロフィール

河野洋平(こうの ようへい)
生年月日:1937年1月15日
年齢:84歳(2021年9月現在)
出身地:神奈川県平塚市
出身校:早稲田大学政治経済学部経済学科
職歴:第16代自由民主党総裁
河野洋平さんは衆議院議員であった河野一郎さんの次男として生まれました。
早稲田大学高等学院を卒業し、そのまま早稲田大学政治経済学部経済学科に入学します。
同級生には第91代の内閣総理大臣であった福田康夫さんがいます。

大学卒業後は、当時総合商社トップ3の一角だった丸紅株式会社に入社しニチリョウの社長を務めました。
1963年の25歳の時に河野太郎大臣が生まれています
1967年の30歳の頃、父親の基盤でもある神奈川5区(現在の17区)から衆議院議員選挙に出馬し、見事当選しました。
1985年に政界入り18年目にして第2次中曽根内閣にて初入閣を果たします。
1993年の内閣官房長官の頃、河野談話を発表します。
そして、1995年に史上初の内閣総理大臣に就任していない自民党総裁となりました。
2003年から2009年まで衆議院議長を務め、2009年7月21日に議員生活を終えました。
河野洋平の現在は?
2009年に議員生活を終えた河野洋平さんですが現在はどのような生活をされているのでしょうか?
政界を引退された河野洋平さんは母校でもある早稲田大学で毎年講義を行っています。
講義の内容は「政治や新しい事象について」というものが多いようでそのために国会図書館にも通われているようですよ!
それだけでなく2021年7月にも自民党本部で講演するなど、完全に政治関係から引退したというわけでもなさそうです。
また、早稲田大学で競争部にも所属していたこともあり、日本陸上競技連盟会長も務めていました(2013年退任)
そんなこともあってか、毎年年初に開催されている箱根駅伝では中継所やゴール地点で早稲田大学の選手を待っている河野洋平さんの目撃情報があります。
早稲田大学にはかなり思い入れがあるようですね。
他にも競走馬のオーバーブリーダーであることから、日本軽種馬協会会長を現在でも務めています。
政界を引退したあとも様々な分野で活躍されているようです。
息子の河野太郎からドナー移植も!
河野洋平さんは議員時代の1973年、36歳の時に肝機能の異常が見つかりました。
そのころは、ちょうど議員として忙しい時期だったので休みなどはなかったようです。
肝脂肪と診断されていましたが実際には「C型肝炎」と発覚します。
C型肝炎とは
C型肝炎ウイルス(HCV)の感染により起こる肝臓の病気
慢性肝炎、肝硬変、肝がんと進行する場合も
さまざまな治療を試していましたが、政治家とステップアップするとともに病気も悪化していったようです。
ついに2001年に顔の色も変わり声がかすれすほど悪化し、入院することになりました。
その時に河野洋平さんの娘と息子である河野太郎さんから肝臓のドナー提供の申し出がありました。
河野太郎さんは母親をがんで亡くしたこともあって、「おやじに出来る限りのことをしたい」という思いがあったそうです。
そういった太郎さんの気持ちを知り、洋平さんもドナー移植を受け入れたとのことです。
家族の愛により九死に一生を得たことで「元気な姿を見せて、同じような病気で悩んでいる人に希望になりたい」という思いもあり、現在も精力的に活動されているようです。
まとめ
今回は河野太郎の父親である河野洋平さんの現在についてまとめました。
河野洋平さんも河野太郎さんと同じように議員の息子として生まれたこともあり、地元の基盤は盤石だったようです。
現在でも自民党本部で講演するなど、河野洋平は政治家の方たちからも一目置かれている存在のようですね。
息子である河野太郎さんが内閣総理大臣になれば父親である洋平さんも再び注目されるかもしれませんね!
最後までご覧いただきありがとうございました!