世界的に有名なデザイナーである高田賢三さんが10月4日新型コロナウイルスにより亡くなられました。
ご自身の名前でもある「KENZO(ケンゾー)」というブランドで世界ファッションを先導し大活躍されていました。
新型コロナウイルスの感染が原因ということで一層残念な気持ちでいっぱいです。
今回は改めて高田賢三さんについて調査していきます。
高田賢三の経歴
それではまず高田賢三さんの経歴についてご紹介していきます。
生年月日 : 1939年2月27日
出身地 : 兵庫県姫路市
学 歴 : 神戸市外国語大学中退、文化服装学院デザイン科師範科卒業
高田賢三さんが卒業した文化服装学院デザイン科はの同級生には、コシノジュンコ、松田光弘、金子功、北原明子といった後のファッション業界を先導していくことになる方が一緒で「花の9期生」と呼ばれていました。
同じ時期に同じ場所で有名になる人たちが集まっていたのはとても驚きですね。
昔々世界にはばたく10人のデザイナーと銘打った文化服装学院卒業生の凱旋ファッションショーを見た。オープニングが高田賢三さんだった。
コシノヒロコ、ジュンコ、山本耀司、松田光弘(ニコル)金子功(ピンクハウス)他錚々たるメンバーで夢の世界でした。
懐かしい思い出。
ご冥福を御祈りします。 pic.twitter.com/fvN81Ad3nL— moryrose (@moryrose) October 4, 2020
大学卒業後に「三愛」「ミクラ」を経て、1960年に第8回装苑賞を受賞し1965年にフランスへと渡ります。
1970年に独立し「KENZO」と立ち上げます。ゆったりとしたシルエットや安価なコットンを多用したカジュアルなコレクションがパリのファッション業界に衝撃を与えることとなりました。
しかし1980年ごろから経営難となっていき、1993年にフランスの有名ブランド「モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン」にブランドを売却することになります。
その後、ファッションデザイナーを退くものの復帰し2004年にはアテネ五輪のユニホームをデザインしたりと再度活躍しました。
そのまま順風満帆にはいかず、2007年に会社は破綻し2009年に自宅などを売却し破産することとなりました。
そして2020年10月4日に81歳で亡くなられました。
ご自身のブランドの売却や経営破綻とかなり波風のある人生だったようです。
高田賢三の自宅の場所はどこ?
高田賢三さんはフランスパリに永住していました。
2009年に自宅を売却するまではかなりの大豪邸に住んでいたようですよ!
パリに住んでいる方も知っているぐらいで、パレロワイヤルという有名な歴史的建造物の近くだそうです。
東洋と西洋のミックススタイルで日本の伝統を取り入れているご自宅です。
なんとその大きさは1207平米(365坪)もの広さで、お値段は25億円ほどと言われている大豪邸です。
この日本庭園に関しては有名雑誌に特集が組まれるほどです。
売却後はコンサートの購入した方により和洋折衷のモダンなスペースを生かして音楽のイベントなどが開かれているようです。
2009年にご自宅を売却したあとはどこで暮らしていたかも調査しました。
何と今の自宅はパリ・サンジェルマンにあるアパートだそうです!
あれだけの大豪邸に住んでいた時からは考えられないですよね。
そちらのアパートの写真も見つかりました。
想像していたアパートと全然違いますね!(笑)
なんでもこちらのアパート250平米(75坪)もあるそうで普通のアパートとは違いますね。
年齢のこともあり大好きだった美術品とかもほとんど売却し、このアパートに移ったようです。
今年の3月にはテレビでご自宅訪問されたようです、アパートから移動しているようですが相変わらずセンスのよいご自宅ですね。
https://twitter.com/niruwo/status/1235902197210050561?s=20高田賢三の家族(妻,子供)やパートナーについて
それでは最後に高田賢三さんの大事なご家族について紹介していきます。
世界的ファッションデザイナー高田賢三さんにはそれなりの美女が奥さんなのではと思っていましたが、高田賢三さんに奥さんと子供さんはおられないようです。
ですがグーグルなどで「高田賢三」と調べると「パートナー」という言葉がでてきます。
奥さんや子供などの家族がいないのにパートナーとはどういうことだと不思議ですよね。
これについては、そのままの意味で「グザビエ・ドゥ・カステラ」さんという男性のパートナーがいました。
出典:https://asia.nikkei.com/Spotlight/
このパートナーの男性とはブランド「KENZO」を立ち上げた時から一緒で、公私とものパートナーだったということは周りも認識していたようです。
先ほど紹介したパリの豪邸にも一緒に住んでいたようで、建設家だったグザビエ・ドゥ・カステラさんと共に設計しています。
高田賢三さんのパートナーのグザビエ・ドゥ・カステラさんは1990年半ばにエイズで亡くなられています。
高田賢三氏の訃報。
タモさんが長髪のかつらを被るたびに「オレ、こういうの被ると高田賢三になるんだよね」と言っていた。 pic.twitter.com/Gnx1yPvAzh— 上林汚命 (@sexykambayashio) October 4, 2020
グザビエ・ドゥ・カステラさんが亡くなられたことがきっかけで高田賢三さんはかなり落ち込みデザイナー活動ができない生活を送っていました。
高田賢三さんにとっては家族であり、結婚相手でもある相手だったのかもしれません。
まとめ
以上、高田賢三さんの自宅(家)の場所や経歴、家族でありパートナーであるグザビエ・ドゥ・カステラさんについてまとめました。
改めて調査してみると経歴的にも凄い方だったということが分かりました。
成功して大豪邸に住むことは誰しも一度は考えますがパリというファッションの本場でそれを叶えたのは凄いと思います。
お子さんはいませんでしたが、家族でありパートナーであるグザビエ・ドゥ・カステラさんと共に人生を歩んでいたようです。
高田賢三さんのご冥福をお祈りします。